ハーモニーと分離唱

 私は昔から、ハーモニーと分離唱について関係があると思っていたわけではありません。
佐々木基之先生は山梨大学合唱団(以降梨大合唱団といいます)を指導され始めた頃から分離唱とハーモニーについて、折に触れておっしゃっておられた言葉があります。それが、「聴けばハモる」ということです。
 聴けばハモるとはいったいどういうことなのだろう? 恐らくは指導を受けた仲間も同様の疑問を抱いたのではないかと思います。「聴いてうたえばハーモニーしない訳はない」、というのです。つまりは、「聴いてうたう」ということはハーモニーするための前提条件なのか? ということになります。「うたう」という言葉は声に出すことですから、残りの「聴いて」という言葉が何とも悩ましい。
 先に述べましたように、本『耳をひらく』のタイトルにあるように、

「耳をひらく=ほんとうの意味での『聴く』ということが出来た。」

ということになります。
「聴いている状態」のことを「耳がひらいている」状態、ということになります。
佐々木先生は、ご著書『耳をひらく』の中で僅か三行を割いて、
「ピアノで和音を弾いて、その和音の中の一声音をうたいながら、ピアノを聴けば、自分のうたう声はピアノの響きの中に溶け込んで消えていくような感じがします。これがハーモニーの極致です。その時に和音(ハーモニー)感覚が耳に復活してくるのです。私は、これを耳をひらくと言っています。」と述べています。

 まさしくその通りでしょう。そして、分離唱の真価はまさにこの数行の言葉の中にすべて秘められているのです。

 耳をひらいて、『聴く』という動作は通常私たちが「話を聞く」などという聞き方とはまったく違う状態なのだということを付け加えておきます。

ハーモニーが進化して

 私はこの”溶け込んで消えていくような感じ”の中で言葉では表すことの出来ない体験を何度もしました。静かな感動とでも言いましょうか、この世とは思えないような感動でした。決して熱くなるようなことなく、かといって冷めるでもなく、透明感のある何とも言えない体験でした。
結局、これは言葉で表すことは出来ません。言葉で表すことの出来ない文字のことを密教の世界では不立文字というそうですが、そういった種類のものなのでしょう。

よく、人が変わるとか人間が変わるなどと言いますが、このような体験はまさしく人を変えてしまうのではないかと思います。

おのれの人生を問う

 ハーモニーの体験は特殊だと思います。通常受ける感動と種類が違うように感ずるのです。スポーツを自分で行ったり、観戦したりして感動することがあります。また、観劇をしたり音楽を聴いたりして感動することもあります。私自身もそのような感動は幾度となくしてきましたが、ハーモニーしている時の感動はどうやら、それらとは違うような気がするのです。

私は、このことに疑問を抱き、およそ40年間自分なりに探求し続けてまいりました。そこで得た結論は、「人間自身、人間そのものを根底から変化させることのできるヒントがハーモニーには隠されているのではないか」、ということ。このことを実際に証明することが私の使命であると今日考えています。現在、ささやかながらハルモニア合唱団を指導させてもらっていますが、その兆候は出ています。

音楽に何か足りないものを感じている方、人生で模索をされている方、藝術の神髄に到達したい方、などどうぞこのハーモニー体験をされることをお勧めいたします。